移住一年目は、まず秋祭りへ【丹波篠山市|有限会社クレア】

New

太鼓の音が背中を押す夕方に

 

夕方、山の稜線が少しだけ濃くなる時刻、どこからともなく太鼓の音が混ざりはじめます。丹波篠山の町には、秋になると焼き栗の香りと湯気と笑い声が同じ空気の中に同居します。のぼり旗が道端に立ち、法被の背中が風をはらみ、子どもたちの足音が石畳のリズムを刻む。

愉しそうだし、熱気もある。でも移住一年目の秋はそこに飛び込むことが、ほんの少し、躊躇してしまうかもしれません。いつもと同じ玄関の扉が重たくなるような。地図では会場の場所がわかっても、心の地図は白紙のまま。見知らぬ交差点に立っている気分のまま、足が前に出ないかもしれません。だって、皆知らないんだもの。


 私は工務店の社長として、現場と地域の行事を日々行き来しています。(なかなかハードです笑)実家と、私の住まいは近いのですが、地区としてはお隣さんなので、核家族の我が家は地区行事は「おじいちゃん、代打で行って」ができません。(笑) ですので、マイホームで住はじめた時から、住まいのある地区の行事に参加しています。同じ町内でも、地区の歴史や人数によって地区ごとに違いがあるものあり、最初はハテナがいっぱいでした。

それでも図面や見積もりでは測れない“暮らしの体温”を確かめるには、人の集まる場所に身を置くのがいちばん早い。秋祭りや収穫祭は、その体温に最短距離で触れられる季節の入り口です。もしも今、移住直後の不安が胸のどこかに滞っているなら、太鼓の音に合わせて、まず一歩だけ歩いてみませんか。のれんの向こう側には、思っているよりも柔らかい空気が流れています。


 祭りは派手な見世物の集合体ではありません。むしろ、暮らしの“梁”を通すような作業に近い。春の花、夏の夕立、そして秋の実り。その連なりの中に自分の時間を差し込むと、暮らし全体の重心が少し下がって安定します。家づくりでいえば、通風のために窓をひとつ増やすようなもの。風が抜けると、湿気は自然に引いていく。人間関係だって同じです。風の出入り口を、意識してひとつ開けるだけでいいのです。


“見えない壁”の正体は、ルールではなく物語の不足


 秋祭りに向かう時に立ち上がるさまざまな不安は、実のところ「ルールを知らないこと」よりも、「誰と、どんな物語を始めればいいのかわからない」という戸惑いから生まれます。名簿に載っている名前は、最初は記号の羅列にしか見えません。けれど、焼き台の前で笑いながら麺を返すあの人が「○○さん」と名前と動きで脳に刻まれると、翌朝の会釈は自然に深まります。つまり、“人となり”に触れる体験が先で、ルールは後からついてくるのです。


 子育て世代の方なら、出かける前の段取りが小さな登山のように感じられるかもしれません。お昼寝のタイミング、トイレの場所、荷物の軽量化。ひとつ読み違えると撤収の合図が家族会議で即決される。反対に、現役リタイア層の方は、輪の中心に飛び込むより、少し外側で支える位置に安心を見出すことが多い。どちらの世代にも共通しているのは、“無理をしない”と最初に決めておくことです。行事は持久走ではありません。呼吸の合うペースで歩けばいい。季節の空気は、急がなくてもちゃんとこちらに寄ってきます。


 そしてもう一つ、移住直後の“壁”を厚く見せているのが、失敗したくないという思いです。はじめての場所では、誰だって小さく失敗します。駅前の横断歩道を渡るタイミングを一度読み違えるように、焼きそばの列で自分の番を飛ばしてしまうとか、御神輿の通り道に立ちすくんでしまうとか。けれど、その小さな失敗が、話しかけられるきっかけになります。笑って「すみません、初めてで」と言えば、ほとんどの場面で周囲の肩が一緒に下がります。祭りの空気は、思ったよりも面倒見がいいのです。


入口のひと言、五感の記憶、そして“混ざり方”の工夫


入口での会話は、扉の蝶番


 会場ののぼり旗の根元や受付の机のそばには、たいてい場を整えている背中があります。そこに近づいたら、まず短い自己紹介を。長い経歴や事情は不要です。「この春に篠山に越してきました。今日が初めてで、勝手がわからなくて」。それだけで十分。弱さの告白ではなく、地域の側に“案内する喜び”を生む合図になります。「あの辺りだと見やすいよ」「この後、子どもの行列が通るから気をつけてね」──そんな短い言葉が、あなたの居場所の下準備をしてくれます。工務店の現場でも同じで、最初の声かけひとつで、その日の段取りは驚くほど滑らかになるものです。


 疑問は小さなうちに口に出すのがいちばん。質問をため込んでしまうと、頭の中で問題は球根のようにふくらみます。現場なら三十秒で片付くことが、暮らしの中では三日間の迷いになる。わからないことは、その場で聞く。これだけで、帰り道の足取りは半分軽くなります。


五感がほどく距離


 焼き台から立ち上る湯気、ソースの甘辛い匂い、笛の合図の高い音。五感は、言葉よりも先に場所と人の関係をやわらかく結び直してくれます。子どもの綿あめの白さに、見知らぬおばあちゃんが微笑み、法被の背中を幼い手がそっと叩く。その一瞬に、ここで同じ時間を共有しているという実感が宿る。安全に目を配る気持ちも自然に芽生え、段差を避け、暗くなる前の帰路を想像し、荷物を斜め掛けにして両手を空けるという選択につながります。家の設計でいえば、日射の入り方や風の通り道を微調整するのに似ています。カーテンを一枚重ねるだけで、室内の居心地が変わるように、暮らしの所作をほんの少し調整するだけで、祭りは「疲れる場」から「気持ちよく関わる場」に変わります。


「手伝う」と「混ざる」の間


 のれんの向こう側へ一歩入ったら、混ざり方の温度を自分で決めます。最初の年は、大きな役割を背負う必要はありません。列が崩れそうなら子どもたちにやさしく声をかける。紙コップが減ってきたら新しい束を出す。終わり際にテーブルを拭く。三分で済む行為が、名刺よりも正確にあなたを紹介します。「最後までいてくれる人」という信頼は、肩書きでは買えません。


 とくに片付けの時間は、距離が縮む黄金の三十分です。ロープをほどきながら、「この神社、昔は楠が二本あってな」と誰かが話し出す。別の誰かが「あの店の焼きそば、粉が違うんや」と続ける。暮らしの地層がぽろりと顔を出す瞬間に立ち会うと、心の緊張は静かに解けていきます。私はよく、耳でメモを取るつもりで相槌を打ちます。事実だけでなく、話しぶりや言い回しも受け取る。地域の言葉には、その土地の“重力”が宿っているからです。


子どもは家族の名刺、語りは地域の教科書


 子どもに小さな役割が生まれると、空気は一段やわらぎます。拍子木を鳴らす、名札を渡す、拍手のきっかけをつくる。見守る大人たちの視線がやさしく交差して、家族ぐるみの会話が自然に始まる。結果的に、親は声をかけられやすくなり、家族全体の居場所ができます。子どもは“家族の名刺”。うまく使えば、背後の大人も覚えてもらえる。(笑)


 そして、年配の方の昔語りは地域の教科書です。「この堤防、昔はもっと低かったんや」「この道は牛が通っとった」──短い一言に、治水や農の歴史、人の工夫が折りたたまれている。小さなメモ帳をポケットに。帰宅後に二行だけ書き留める習慣を続けると、地図には載らない“暮らしの地形図”があなたの手元に積み上がっていきます。


役の受け方、断り方


 二年目、三年目になると、小さな係の声がかかるかもしれません。最初から背伸びは不要。できる時間だけ、できる範囲だけ。家で準備できる役ならなおのこと続けやすい。「広報の下書き」「写真の整理」「物品のチェック」など、暮らしの手と重なる仕事は負担を少なくしてくれます。どうしても難しいときは、断りに“別の具体”を添えましょう。「当日は片付けに戻ります」「春の清掃は必ず出ます」。関係を切らず、次の糸口を一緒に作る断り方は、むしろ信頼を厚くします。


 奉賛や賛助の形は地区によって異なります。最初から完璧に合わせようとせず、率直に「今年は初めてなので、相場を教えていただけますか」と尋ねれば大丈夫。地域は無理をする人より、続けて来る人を待っています。工務店の仕事も同じ。大きな受注より、日々のメンテナンスの積み重ねが家の寿命を延ばすのです。


収穫祭の台所で生まれる“共同の味”


 直売の里芋を手に取りながら「どう炊くのが一番ですか」と尋ねると、不思議なほど三通りは答えが返ってきます。しょうゆとみりん、白だし、味噌少々。作り手の数だけ正解があるのが台所の醍醐味です。余力があれば、そのレシピを翌週に試して、半分をタッパーに入れてお礼に持っていく。材料と作り方を小さなメモに書いて添えると、受け取った側が“再現”できる。地域の味がもう一品、その家の食卓に増える。味の共有は、思っている以上に距離を縮めます。文字より先に、温度が伝わるからです。


季節の梁を通す、住まいの間取りを整える


 暮らしの安定は、季節の行事を“梁”として通すことで生まれます。春の芽吹き、夏のにぎわい、秋の実り、冬の支度。そこに自分の時間を差し込むと、孤独は情報不足ではなく“行き来の不足”から生まれているのだと実感できるはず。人が行き来し、言葉が行き来し、笑いが行き来する。通風と採光を設計するように、暮らしにも“開口部”をひとつ設ける。秋祭りは、その開口部にぴったりの季節の装置です。


 実務的には、玄関脇に折りたたみ椅子を一脚置き、外コンセントのそばに延長コードを巻いておき、土間には軍手と小さなライトを常備しておく。声をかけられたらすぐ動ける家は、声をかけやすい家でもあります。写真や連絡はLINE、当日の流れは紙の回覧板。デジタルと紙を両刀づかいにするのも、実は暮らしの温度を一定に保つコツです。家族の中で役割をゆるく分けておけば、負担は半分に、楽しさは倍になります。


薄い「またね」を重ねて、厚い布にする


 秋は天気が変わりやすく、開催や中止の判断が直前になることもあります。傘の骨が鳴る音を聞きながら空を見上げると、同じように空を仰ぐ人が隣にいる。「降りましたねえ」「降りましたねえ」。それだけの会話でも、帰り際に「またね」が自然に口をついて出てくる。暮らしの関係は、こういう薄い膜の重なりでできています。分厚い約束を一枚ではなく、薄い「またね」を十枚重ねる。結果として、強い布になるのです。


 最初の一歩は、玄関の鍵を回すほどの小さな動きで構いません。入口で「初めてです」とひと言添える。会場の空気を吸い込む。三分だけ手を貸す。帰り際に「来年はもう少し頑張ります」と未来形の挨拶を置いておく。たったそれだけで、翌週の朝の散歩道で、会釈が会話に変わります。秋祭りは、地域の“取扱説明書”のようなもの。ページは誰かが開いてくれるのではなく、あなたがめくるのです。開いたページの余白に、暮らしの線を一本引く。家づくりでいちばん大切なのが“人”であるように、移住の成功も、結局は人が決めます。


 太鼓の音が遠のく夜道、ポケットの内側に残る温もりを確かめながらドアを開けると、家の空気がほんの少し軽く感じられるはず。収穫の季節に、あなたの暮らしにも一本、確かな梁が通りますように。丹波篠山で、お会いできるのを楽しみにしています。


☆☆この記事を読んだ方にはコチラもおすすめ☆☆

2025年版!田舎への移住を決行したものの、後悔した理由。

ご近所付き合いが怖い…それでも田舎移住したいあなたへ

海外移住より田舎移住?