移住のシタシラベ|Vol.3 住み続ける人、暮らしを戻す人。【丹波篠山市|有限会社クレア】


移住後の“続くケース・戻すケース”を比べてみる


丹波篠山に移住して「ここで住み続けている人」もいれば、いったん暮らしを元の場所へ戻した人もいます。


インターネットで「地方移住 後悔」「田舎暮らし 失敗」と検索すると、どちらかというと「うまくいかなかった話」のほうが目に入りやすいかもしれません。

一方で、SNSや雑誌では「移住大成功!」「理想の暮らしが手に入りました」というきらきらした事例もたくさん紹介されています。


そのどちらか一方だけを見ていると、移住は「成功か失敗か」「覚悟があるかないか」のような、ちょっと息苦しい話に感じてしまうことがあります。でも実際に、丹波篠山周辺で移住された方々のお話を伺っていると、もう少し穏やかで現実的な姿が見えてきます。


ここで暮らし続けている人にも、しんどかった時期はちゃんとある。

元の暮らしへと暮らしを戻した人にも、「あれをやってみてよかった」とどこか晴れやかな顔をしている方がいる。今回は、そんな「住み続ける人、暮らしを戻す人」という二つのパターンを、成功/失敗ではなく、どんな違いがあって、そこから何を“シタシラベ”できるのか、という視点で、いっしょに眺めてみたいと思います。


「住み続ける人」と「暮らしを戻す人」は、根性の差ではない


移住について語られるとき、つい出てきがちな言葉があります。


「覚悟が足りなかったから続かなかった」

「本気じゃないから暮らしを戻したんだ」


こうした言い方は、一見すると筋が通っているようにも見えます。でも、実際にお話を聞いていると、「住み続ける人」と「暮らしを戻す人」の違いは、そう単純ではないと感じます。


仕事のかたち。

家族の年齢や健康状態。

親御さんの暮らしぶり。

お子さんの進学や部活。

それから、移住先の地域との距離の取り方。


決定的なのは「根性」ではなく、置かれている条件と、その中での“調整のしかた”

のほうにあるように思うのです。

もちろん、「どうしてもここで暮らしたい」という思いの強さは、最後のひと押しになることがあります。けれども、それだけで全部が決まるわけではありません。


たとえば、丹波篠山で「住み続けているご家族」としてお話を聞くと、仕事と学校と暮らしのバランスを見ながら、時間をかけて移ってこられたケースが多いと感じます。


一方で、元の暮らしへと暮らしを戻した方のお話を聞くと、家族の病気や親御さんの介護、会社の方針変更など、ご本人の意志だけではどうにもならない事情が折り重なっていることがほとんどです。


ですから、ここでは「根性があるから続いた」「覚悟が足りないから暮らしを戻した」という

単純な話ではなく、どんな条件のときに、どういう選択になりやすいのか、を静かに整理してみたいと思います。


「住み続ける人」に見えてきた共通点


ではまず、「住み続けている人」のパターンから。ここでは、実在の個人が特定されないように、いくつかのお話を混ぜた“ケース像”としてお届けします。


あるご家族は、ご夫婦と小学生のお子さん二人。ご主人の仕事は、場所を選ばない在宅勤務がメイン。奥さまは、丹波篠山周辺でパートタイムのお仕事を見つけられました。


最初から家族全員で引っ越してきたわけではなく、一年ほどは「二拠点」の時期があったそうです。週末や長期休暇だけ丹波篠山で過ごし、小学校の転校のタイミングを見計らいながら、少しずつ生活の比重を移していきました。「最初から全部を完璧にしようとすると、きっと動けなかったと思います」とご夫婦は話されていました。仕事も、学校も、地域との付き合いも、どれも大事ではあるけれど、最初から100点を目指すのではなく、“まずは70点くらいでスタートする”という感覚で一歩を踏み出したのだそうです。


別のご夫婦は、お子さんが巣立ったあとに移住してこられました。お二人ともフルタイムで働いていましたが、ご主人は勤務先をそのままに、在宅勤務の日を増やす形で調整。奥さまは、通勤時間が伸びることを見越して、正社員からパートタイムに切り替える決断をしました。

「収入だけ見れば、たしかに少し減りました」と笑って話されていましたが、その代わりに通勤時間が片道10分から40分になったとしても、渋滞のない道を、田んぼの風景を見ながら運転する時間は、思っていたより苦にならなかったと言います。


どのご家庭の話にも共通しているのは、「条件が完璧にそろう瞬間」を待つのではなく、自分たちなりの“落としどころ”を見つけながら、少しずつ暮らしの重心を移していった、という点です。「冬は寒いだろうなあ」「雪も大変そうだなあ」という不安についても、「たぶん大変。でも、そこはもう“セット”として受け入れよう」と、どこかで腹をくくっておられます。


移住して住み続けている人たちは、移住を“完璧な正解”にしようとしすぎないという共通点を持っているように思います。


「暮らしを戻す人」の物語も、失敗談とは限らない


一方で、数年の暮らしを経て、元のエリアへと暮らしを戻した方々のお話もあります。


あるご夫婦は、コロナ禍より前の時期に丹波篠山へ移住されました。きっかけは、大阪まで電車で約1時間という利便性。自然のある環境で暮らしたいという思い、この二つのバランスでした。

ご主人は大阪方面へ電車通勤。片道1時間というのは、たしかに楽ではありませんが、「景色が田んぼと山になるだけでも、だいぶ違うね」と、ご夫婦ともに前向きに受け止めておられました。

ところが、その後コロナの流行が始まります。会社としては在宅勤務や時差出勤などの制度が整っていく一方で、都市部と田舎の行き来に対して、世の中全体がピリピリとした空気になっていった時期がありました。

「大阪から帰ってきた自分が、どこか後ろめたいような気持ちになることもあった」「家族を守りたい、地域にも迷惑をかけたくない、その両方を考えると、精神的な負担がじわじわ増えていった」、そんなふうに振り返られていました。

勤務先の方針も、状況に合わせて何度も変わります。在宅勤務が増えた期間もあれば、逆に「やっぱり定期的に出社してほしい」という流れに戻った時期もありました。


丹波篠山での暮らし自体には満足していた。家の周りの環境も、ご近所との関係も良好だった。それでも、数年の変化を経て、ご夫婦は話し合い、「今の自分たちの力加減では、ここでこの働き方を続けるのは難しい」と判断し、元のエリアに暮らしを戻すことを選ばれました。


別のケースでは、ご両親の介護がきっかけでした。丹波篠山での暮らしには満足していたものの、遠方に住む親御さんの体調が悪くなり、頻繁に通ううちに「もう少し近くにいたほうが安心だ」と感じるようになります。


移住したからといって、人生の他の要素が止まってくれるわけではありません。親のこと、子どもの進学、仕事の変化、健康のこと。そうしたものの組み合わせの中で、「今は、こっちを優先しよう」と暮らしを戻す決断をされる方もいます。


印象的なのは、そうした方々の多くが、「移住したこと自体は、やってよかった」と話されることです。「一度やってみたからこそ、今の暮らしに納得できている」「丹波篠山に知り合いができたことは、これからも自分たちの財産」。暮らしを戻したからといって、移住の時間そのものが“失敗”に変わるわけではありません。むしろ、そこで過ごした数年が、これから先の人生を考えるうえでのひとつの“ものさし”になっているように見えます。


どちらの人もつまずきやすかったポイント


「住み続ける人」と「暮らしを戻す人」とで違いはあっても、実は多くの方が似たところでつまずき、悩んでいるな、と感じる部分もあります。


ひとつは、仕事と通勤の問題です。

在宅勤務やオンライン会議が増えたとしても、「完全リモート」という働き方がずっと続くとは限りません。会社の方針変更や部署異動で、通勤の前提がガラリと変わることもあります。

「丹波篠山からならギリギリいける」と思っていた通勤が、出社日数や時間帯の変化で、

生活全体を圧迫する負担になってしまうこともあるのです。


もうひとつは、人間関係の距離感です。

ご近所さんや自治会とのお付き合いが、想像よりも濃くて戸惑うこともあれば、逆に「思っていたより静かすぎて、孤立感が強かった」という声もあります。


それから、生活インフラ。

日常の買い物、病院、子どもの習い事への送り迎え。車が一台増えることによる維持費。

冬の寒さや、住宅の断熱性能の差。どれも、頭では分かっていたはずなのに、実際に一年を通して暮らしてみると「想像より大変だった」と感じるところです。


ここで大事だなと思うのは、こうした“しんどさのポイント”は、住み続ける人にも、暮らしを戻す人にも、共通して顔を出している、ということです。

違いは、「つまずかなかったかどうか」ではなく、そのつまずきを前にしたときに、「それでもここで暮らしたいか」「今は別の選択をしたほうが良さそうか」を、それぞれの事情の中で選び直した、という点にあります。


住み続けた人がしていた、小さな“工夫”


では、住み続けている人たちは、そのつまずきとどう付き合ってきたのでしょうか。


お話を伺っていて印象的なのは、“劇的な大技”よりも、「小さな工夫の積み重ね」が多いということです。たとえば、いきなりすべてを移そうとしないこと。仕事も、家も、学校も、一度に全部変えてしまうのではなく、まずは週末だけ来てみる。一年だけ二拠点で様子を見る。「3年はここでやってみよう」と期間を決めてチャレンジする。そうやって、“試す余白”を自分たちの中に残しておくことで、「もう後戻りできない」というプレッシャーを少し和らげている方が多いように思います。


また、地域との関わり方についても、最初から「自治会の役を全部引き受ける」「地域の中心人物になる」と意気込むのではなく、まずは「顔と名前が一致する人を一人つくる」くらいを目標にしている、というお話も聞きます。お隣さんと立ち話をする。ゴミ出しのときに、ひと言二言交わしてみる。地域の行事には、最初の年は見学するつもりで顔を出す。そうした、小さな接点の積み重ねが、いつの間にか「この町にいる自分」を支えてくれているのだと思います。


そしてもうひとつ。

住み続けている人の多くが口にするのは、「ダメなら暮らしを戻す、という選択肢もちゃんと持っていた」という言葉です。「無理やり居続けて心身を壊してしまうくらいなら、元の暮らしに戻すのもアリだよね」という逃げ道を、あらかじめ家族で共有しておく。それがあるからこそ、「じゃあまずはここでやってみよう」と、今の場所での暮らしに集中できるのかもしれません。


「暮らしを戻す」という選択も、ちゃんと“アリ”にしておく


移住を「一発勝負」にしてしまうと、どうしても決断が重たくなってしまいます。これで失敗したら終わり。暮らしを戻したら負け。そんなふうに考えてしまうと、そもそも最初の一歩が出にくくなってしまいます。


でも、実際にお話を聞いていると、一度移住して、いったん暮らしを戻した人たちは、「やって良かった」と話されることが多い、というお話を伺うことが、実際とても多いです。

都会の便利さも、田舎の静けさも、両方を自分の肌で知ったうえで、「今の自分たちには、こっちが合う」と選び直している。暮らしを戻すという選択は、「自分たちの優先順位を、その時点で更新し直した結果」とも言えるのだと思います。


もちろん、簡単に引っ越しができるわけではありませんし、費用も手間もかかります。それでも、「暮らしを戻す」や「別の場所を選ぶ」可能性を初から完全に閉じてしまわないほうが、

かえって心が軽くなる場面もあるはずです。住み続けることも、暮らしを戻すことも、どちらも間違いではありません。


大事なのは、その時々の自分たちの状況のなかで、「納得して選べた」と思えるかどうかではないでしょうか。


地元の工務店として、そばでできること


地元の工務店という立場から見ていると、移住にまつわる相談は、「家をどう建てるか」「どこをどう直すか」だけでは終わりません。移住後に住み続けることを前提にしながらも、将来の選択肢を残しておきたいというご希望もあります。


たとえば、「将来貸すかもしれない」ことを見越した間取り。いざというときに、比較的スムーズに売却・賃貸できるようなサイズ感の家。親御さんとの同居や、子どものUターンも視野に入れた二世帯の作り方。住み続けるにしても、暮らしを戻すにしても、「この家と、自分たちの人生との距離感」をどう設計しておくかは、実はとても大切なポイントです。


私たちとしては、「移住して終わり」ではなく、その先の数年、十数年の暮らしも含めて、「住み続ける未来」と「暮らしを戻す未来」の両方を頭の片隅に置きながら、一緒に考えていけたらと思っています。


この「移住のシタシラベ」シリーズが、移住を迷っている方にとって、「住み続けてもいいし、暮らしを戻してもいい。そのうえで、自分たちなりの答えを探してみよう」と肩の力を抜くきっかけになれば、うれしく思います。


丹波篠山での暮らし方を考えるヒントとして、これからもいっしょに、ゆっくりシタシラベを続けていきましょう。


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